自然の脅威に際しての、妖怪の出現
今年のコロナ禍にて突如、疫病封じの「アマビエ」なる妖怪が注目を集め、
そのイラストを描く人が増えたことは、4月終わり頃に記事にしました(こちら)。
そして、その後の自粛期間中にはケルトの妖精物語を読むことができ、
そこでも多くの超自然的な現象を妖精たちの仕業として扱うことによって、
日々の生活のなかでの不可解な出来事や恐ろしい体験に際して、心の均衡を保っているケルト民族の知恵を感じたわけです(記事はこちら)。
日本では「妖精」というより「妖怪」として知られる存在は多々あり、
現実世界に出没しながらも、異界に属しているような存在―「おばけ」や「化け物」と呼ばれることもあるようなものになっております。
人は要するに生活を営んでいく上で、どうしても自分を取り巻く自然と対峙しなければならず、
今回のように新しいウイルスによって多くの制限を受けねばならなかったりするなど、脅威を感じざるをえないことが多々あったわけです。
その際に、今回「アマビエ」をウイルス封じの象徴として使ったように、
もろもろの妖怪をその脅威のシンボルとして設定し、ある種の共同幻想のようにして使って、
恐怖におののく心にゆとりをもたらしていたのではないかと思います。
●例えば河童(上図)は川の妖怪ですが、
かつて山や川、海というのは、人が日常生活を送る現世と、祖霊が住む他界との境界にある場所で、
一歩間違えば自然の脅威にさらされて、命を落としたり、恐ろしい目に遭ったりする…。
そのような恐怖から、神の怒りに触れないように心がけたいという心境が湧くことになり、
皆のそういう潜在意識が集まって、川の場合には「河童」という存在が生みだされたということになるでしょうか。。。
水の脅威―川に落ちて命を失う危険については、「河童が馬や牛、人間を水中に引き込もうとする」という表現になり、
ユーモラスなところでは「河童が女の尻を撫でる」「人を見ると相撲を取りたがる」というような話も生まれ、
さらには河童の腕や指を持ち帰った人が、毎夜「それを返してくれ」と夢で頼まれ、返す代わりによく効く秘薬の作り方や療法を教えてもらったというようなお得情報まで出没しているようです
正体不明で恐ろしい自然の出来事、不可解な現象に対して、恐れを持ちながらも、
その恐れをキャラクター化することによって客観視し、どことなく心に余裕を持とうとする。
果てはコミカルな物語をも付け加えることによって、
水害や暴れ川などの恐怖に震える心をも和らげる、無意識の意図があったのではないかと感じております。
●私は勝手に山伏のイメージと天狗を重ねていたのですけれど、
天狗は山の怪異を起こす存在として、多くの伝承に残っている妖怪だそうです。
夜中にのこぎりや斧で木を伐り倒す音が聞こえてくるとか、
山中でどこからともなく石が飛んでくるとか、
昼間でも突然大声で呼ばれたり、ゲラゲラと高笑いされるなどの話が残っていて、
天狗の仕業ということになっているとのこと。。。
夜中に火の玉を飛ばすとか、神隠しや人さらいを行うということもあったようですが、
行方知らずになった人を見つけるための方法というものも出回っており、
どうにもならないことを解決するための心の支えにもなっていたのではないかと想像されます。
人々は天狗を恐れながらも、一面ではある種の親しみを持ってその存在を信じつづけてきた模様で、
天狗が山の超自然的な存在で、超越した妖力を持つものであると観念することによって、
山の脅威との折り合いをつけてきたということになりそうです。
というわけで、危機に際しての人の想像力の働き―共同幻想の意義について感じるところが大でしたので、ちょっとまとめてみました
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